アラスカの大自然の中で武道する毎日を雑記


by alaskakendo
あるスポーツジャーナリストの知り合いからこんなメールをもらいました。剣道を修行している人は是非記事を読み、ブログを読み、その中にある動画を見てご意見をお聞かせください。

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安藤様、

ご無沙汰しております。
今、「剣道の誤審」に関し、調べております。
すると、こんな記事にぶつかりました。

http://www.sankei.com/premium/news/151004/prm1510040010-n1.html

連盟に問い合わせたところ「流れからして明らかな判定、相手の監督も納得していた」とのことでした。
安藤さんから以前「剣道に誤審はない」というような内容の話をうかがい、興味をもって調べたところ、このような記事にぶつかりました。

この記事の言っていることも一理あるかと思うのですが、安藤さんは、どう思われますか?
もしご興味があれば、少し、ご教授といいますか、ご意見をたまわることができればと思い、ご連絡させていただきました。
勝手なお願いで申し訳ありません。

じつは、こんなブログがあります。この中で、映像も確認できます。
http://kendo-zakki.net/?p=822

安藤さんが「剣道に誤審はない」と言ったのは、剣道は武道であり、本来、勝ち負けに終始するものではないので……といった内容ではなかったでしょうか。

私としては、サンケイ新聞の記事内容も一理あるのでは、と思ってしまうのですが……。
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それに対して、私は以下のような説明をお送りしました。


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こんにちは。

ビデオ拝見しました。

わたしは基本的にはこの甚之助さんの意見に賛成です。

そしてさらに私は、この合議を要請した審判(副審)を立派だと思いました。

私の試合のこの打突の部分の感想は、「胴を打った選手、せっかく良い機会をとらえていい胴を打ったのに、なんで打突直後に勢い余ったように時計回りにくるりと回って相手に背中を見せて相手と一緒に移動するようなおかしな行動をしたのか。あ〜あもったいない。」というものです。

胴を抜いた後、そのまま前進して抜けて行き、数歩進んだところで左側に回って、相手に竹刀を向けて残心を示せば、完璧に一本として完成されていたのに、打ちっぱなしになってしまった。だからこれは一本とは認められなかったということです。

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わたしは野球をよく知らないので良い例えではないかもしれませんが、例えば野球だったら、ホームランを打ったのに浮かれて最後のホームベースを踏まないでベンチに帰ってしまったみたいな感じでしょうか(その場合はその選手はアウトになり得ますか?ホームランは無効になり得ますか?)。
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しかし、旗が3本きれいに上がってから、このように合議を要請し、一本の宣告を取り消すというのは審判員としては大変勇気のいるものです。しかし、試合の内容をより高いレベルのものにするには、審判員はこうでなければならないのだな、こういう審判の仕方は確かに必要なのだ、ということをこのビデオから学ぶことができました。ですのでこの学びの機会を与えてくれて、大変感謝しております。

ということで、これは誤審と呼ぶことはできないと私は思います。それは一度一本とされた判定が、明確な意思を持って覆されて取り消されたものだからです。

むしろ、これを誤審と呼んでしまう記者さんには、記事を書く前にもう少し剣道を学んでから、または剣道審判法をよく知っている人にきちんと検証してもらってから記事を発表してほしかったと思います。

あと、もう一つ剣道のわかりにくい点なのですが、普通のスポーツ観戦と剣道の試合の観戦の違いの一つに、審判が反則などに関して説明する必要がないことがあります。相撲やアメフトでは審判の判断を観客に向けてマイクで説明する場面がありますが、それは試合の目的のひとつが観客に見せることにあるからだとおもいます。でも、剣道の試合はそういった目的にはないので、説明はありません。実際に後半で両者に反則が宣言されましたが、何の反則かは説明されていませんし、剣道を知らない人にはなんで反則なのかはきっとわからないと思いますし、さらにはよく剣道を知らない人ですと審判が反則の宣言をしたということさえもわからないかもしれません。

剣道の試合はわかりにくいと言われます。そして一本の判定はもっとわかりにくいと言われます。確かにそうです。それは剣道の大会のレベルによって一本の基準が変わることや、各審判の判断基準の違いなどもあります。なので、同じ動作で行った打突でも、状況によって一本だったりそうでなかったりすることもあり得ます。「わかりにくいからよくない」という意見は一般的によく聞きますが、わたしには「わかりにくいのはそれだけ奥が深いからだ」と思えるのです。

竹の棒を持ち、タイヤ(打ち込み台)に向かって雄叫びをあげ、一心不乱にバシバシ叩くなどという一見アホみたいなことを、社会的地位のあるいい大人がやっているのです。日本なら「剣道」と理解してくれるかもしれませんが、アラスカでは「何子供みたいにアホなことやってるんだ?」と思われるのがオチです。だから打ち込みの稽古は人の見ていないところでしかできません。

というように、一見アホみたいに見える行為に深い意味が隠されていても、それを知らない人には見えないし、理解は難しいと思います。

「そんな不透明なものは簡素化するべき」、「もっと一般にもわかりやすくするべき」という意見もたまに聞きますが、そういっているのは剣道をよく知らない人に多いと思います。剣道の有効打突の見極めが、そのように簡単にできるものであるとしたら、たぶんそれは剣道ではないです。つまりそれは剣道の打突の深い意味がなくなった、ただの打ち合いや当てっこ競技だと思うのです。

だから対象を簡素化するのではなく、反対に、その対象を観察する人が自分の見る目を磨き、理解を深めて行き、本質を見極められるようになるように努力する以外に、本当はどうなのかを理解することはできないのではないかと思う次第です。

たかが剣道なのに、大上段に振りかぶった物言いをしてしまい、大変失礼かもしれませんが、とりあえずまずは以上私故人の感想を申し上げます。
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剣道を知っている人はもちろん、知らない人たちにとっても少し興味深い話なのではないかと思ってアップしました。
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# by alaskakendo | 2017-02-03 17:11
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遥か遠く日本を離れ、この地で武道を稽古する身においては、師に観てもらえることはない。より高いレベルを見ることができるように鍛えて、自らの目を鍛えることが必要である(前回記載の「真実を見極める目」も是非参考にしてください)。




朝の稽古日には独りだけ先に道場に行き、ビデオを使って自らの稽古を撮影する。撮影中も撮影中であることを忘れるくらい集中して稽古をし、自宅に戻ってからじっくりと観察する。先生のビデオを観て、自分の動きと比べ、何が違うかを探ろうとする。
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演じているときの自分の心を振り返り、演武の際の動きが鈍って見える部分を発見した時、自分がどのような気持ちでいたかなども反省する。


居合は「動く禅」と呼ばれることがある。

戦いを坐禅をしているときの心境で行うことができるのだとしたら、それはもはや人間業ではない。

しかし不動心の境地、明鏡止水の心を得るためには、人間を超える心境を目指さなければ、辿り着けるものではない。

不可能なことを求め、敢えて努力精進するところに意義があるのだ。



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このような土地にいることで、技術力が上がる度合いには大きなハンディがあるが、いつもハングリーな心を保ち、より濃い稽古時間を自ら作り出すためには理想的な場所なのである。

剣道の稽古、居合の稽古というよりも、
「剣を修行している」ということを実感する時間なのである。
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# by alaskakendo | 2015-08-17 04:06
『神との対話』を著したニール・ドナルド・ウォルシュは、魂の関心事は唯一つ、『あなたがどこへ行くか』と言う事だけだ、と言う。同じ資質を持った二人が成功するか否かは「している事」ではなく「在り方」にあると言う。つまりより高い存在を目指せと言う事なのではないか。




彼の言にも「存在は存在を引きつけ、経験を生む」とある。つまり自分の存在価値が増せば、同レベルの存在が身近になると言う事だ。言い換えると、友人や異性を含めたすばらしい人間に巡り会うにはまず自分を磨けと言う事にもなるだろう。

真実は目の前にあっても、それを見るための目が開かれていない。だから『自分に分かる真実』しか人は認識できないので、それを求めてしまう。真実を見つけるためにはそれを見る目を養う事が必要なのだ。答えを求めているものは多いが,それらの答えを既に知っているものも多くいるはずなのである。自分がどちらにいるか明確に分からない人は前者であると考えて間違いはない。真実を求めるのであればその目を養うために自分を磨かなければならない。

仮に身体、心(精神)、と魂(生命)の三位一体が人間と考えるとする。心には頭脳も含まれるとする。そしてそこに知性と感性がある。心で感じるのは感性、頭で考えるのが知性であり、心が欲望(感情)で満たされると感性が鈍るので、知性(理性)でコントロールする必要が出て来るが、心が純粋なまま修行をして感性を高めれば、正しい方向に進むことができ、同時に知性のレベルもアップするのだと思う。

沢庵禅師の『不動智神妙録』にある「修行というのは、生まれたままの心に悪い癖をつけないことである」と言うのも、ここにそのまま当てはまるのではないかと思うのだ。




感性を高めるには武道がよい。『相手の意図』を読む感性を身につけるために道場で稽古したり、自然の中で稽古鍛錬をする事などが、呼吸をゆっくりにして体の力を抜き、小さな音を聞くようにするなどして心を内から外にリリース(集中)することになる。



自分を知り相手を知れば百戦して危うからずと言うが、桜井章一という勝負師は、相手のことを知ろうとした事が無く、むしろ自分を知ることに努めたと言っていた。自分の弱さを知った時、他人の弱さも本当の意味で理解できる。それが『相手を知る』事に繋がる。自分を見つめて行く過程に必ず他者の存在がある(感謝)。感謝とか相手を敬う気持ちは武道の本質に直接繋がっているのだ。

武道は武術と言う殺人技術に礼法、残心と言うコンセプトを組み込み、「道」に昇華させ、柳生新影流で言う所の『活人剣(殺人刀:せつにんとうからの昇華)』という思想を生み出した。

このことは武道家・アレック・ベネット氏により『武道のパラドックス』と呼ばれている。

まさにその通りであり、さらにその考えを推し進めて行くと、武道の究極の目的である『絶対不敗』は『戦わない』と言う事にあると言う所に行き着くのが分かる。

例えば剣道において相手に対する時、生死をかけて立ち向かう場合に、むやみに打って行く事は一番避けるべき事となる訳だが、稽古の時は打って打って打ちまくる所からより技術を上げて行く過程を踏む事で、打つべき機会や打つための様々な要素を学び、打ち数を徐々に少なくしてクオリティを高めて行くという方法がある。

その上で最後には無駄な打ちを無くし、相手の出る所を押さえ、攻めて来る所を攻め返し、相手が打って出られない状態に抑えると言う技術を身につける。その中には『打てば勝てる状態でも敢えて打たない』という選択肢も含まれている。そしてお互いがそのレベルの極みにある場合、お互いが打って出られない状態に置かれることになる(打ちに出ると言う事は構えを崩すと言う事であり、そこに一瞬でも好きが生まれると言う事になるので、打ちに出れば打たれてしまうと言うパラドックスがある)。

であるから武術を昇華させた、武道の究極『絶対不敗』は、つまり『戦わない(対峙しても打たない)』と言う所に至る。これこそが武道のパラドックスであるということになる。

果たして絶対不敗の境地に達した古の剣聖たちはそこにどのような真実を見ることができたのであろう。

「それを見極めたい、その境地をほんの片鱗で良いから感じたい」、それが私の武道修行の根源的な動機である。



b0241736_05436.jpg真実を見極めることができる目を養い、より高い存在たりえるために、今日も感謝と敬愛の心を忘れず、修行あるのみ。
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# by alaskakendo | 2015-06-25 01:02
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今日は竹刀の柄頭の長さを
自分の好きな長さである
30cm〜31cmにする作業をした。

I adjusted Tsuka length
to 30 ~31 cm which I like the best.



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上のが人から譲り受けた
柄の長さ33cmのもの、
下のが柄の長さ30cmの私の竹刀。

The one above is an used shinai
with 33 cm tsuka.
I am adjusting it to the same size as the one below.



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柄を外して、裏返します。
この細い棒を使って柄頭側から中に押し込むとでてきます。

Turn the Tsuka inside out.



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上から3cmの所で切ります。

Then cut the top off.



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おひょう用の釣り糸と特別強い針を使ってます。

I use the braided fishing line for Halibut.



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完成! 
31cmになりました。
今回29cmのも作ってみました(左端)ので、

どちらも次の稽古で試してみるつもりです。楽しみ〜。

It turned out to be 31cm length.

I also made 29cm length and will try them at the next Keiko.

Can't wait.
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# by alaskakendo | 2015-05-04 11:26
b0241736_1234618.jpg全日本剣道八段優勝大会観戦は八段収得後、5年以上の経験を積み且つ65歳以下の、若いが技量が円熟し、心技体全てにおいて充実した達人たちが集結する日本剣道最高レベルの大会である。





参加者32名は誰が優勝しても不思議のない名人、達人が出場するが、そのなかでも今回の目玉は今回初出場する剣道界のスーパースター・宮崎正裕選手、その宮崎選手に全日本選手権大会で勝った経験もあり、今回2連覇を狙う稲富選手、そして日本剣道界の最高タイトルを得て王者復活を狙う石田利也選手がどこまで活躍するか、はたまた他の老練な業師たちがそれを凌ぎ、頭角を表してくるかであった。

その結果60歳の実力者・古川和男選手が石田選手に二本勝ちで初優勝した。彼はこの大会に10回も出場しているツワモノで12年前3位、6年前2位と6年ごとに順位を上げてきて、最高峰の地位を得たわけだが、今回の試合内容は大変興味深いものだった。

以下は私が観戦したこのハイレベルな戦いに関する個人的且つ主観的な感想である。

組み合わせ表左側第1ブロックの最後は石田選手、宮崎選手は第2ブロック最初に名前があり順当に勝ち進めば準決勝で出会うことになる。

一方右側の稲富選手は第3ブロックなので、決勝まで行かなければこのどちらかと戦うことはない。稲富のブロックでは古川選手、そしてその下のブロックには島根の若い八段山中選手、そして今回最年長の達人・豊村選手がいる。

好勝負は一回戦から続いたが、注目すべき試合だったのは、まずこの大会の優勝経験を持つ船津、石田両選手のそれぞれの高いレベルを示すような怒涛の攻めと打突だ。

船津選手はVS清田選手、続く石田選手はVS高木選手だったが、どちらも素晴らしい攻めと打突で二本勝ちを収めている。

この二人が早くも2回戦で対戦し、先輩の船津選手に石田選手が二本勝ちを収めた。一本目は石田選手の攻めを嫌い両手を伸ばして竹刀の切っ先で牽制したところを石田選手がコテに取り、二本目は石田選手の攻めに対して退いた所をもう一歩踏み込んで面に行くという彼の得意な正攻法の戦法が決まった。石田選手は遠い間合いから面に出ることができるので、これを警戒した船津に対して早くから勝負をかけた石田選手の気持ちが勝っていたからだといえよう。船津選手は得意のコテ・面や胴などを出す機会もほとんど見出せず、好調時に見せるダースベーダーを連想させる息遣いが出る前に勝負が決まってしまった。




b0241736_12355563.jpg宮崎選手も準決勝まで危なげなく勝ち進んだ。

1、2回戦同様、3回戦目の相手、香田選手相手にも相手の竹刀を抑えて打ち間に入ってから面に乗る彼の得意なパターンを数度繰り返す。しかし香田選手も業師なので、当たっても浅いか軽いかで、なかなか有効打にさせない。

1、2回戦とはさすがに相手が違うため、宮崎選手は多少警戒を見せたが、いかんせん香田選手は声が出ていなかった。それが逆に不気味さを漂わせていたが、香田選手も徐々に宮崎選手を攻めるようになると、宮崎選手はここで相手の攻撃を大体見切ったのか再び攻め始め、結果二本勝ちを収める。

白の宮崎選手に対し赤・石田選手の準決勝は、初盤宮崎選手がまさに打ち間に入らんとする所に遠間からの石田選手の面が炸裂した。この絶妙なタイミングを捉えた面でまず石田選手が先行する。しかし宮崎選手もただでは終わらない。一本をとって多少守勢に回る石田選手を彼得意の攻めのパターンで攻め込み、後退する石田に向けて面を打つと旗が3本一斉に上がる。

が、しかし色が違う。上がったのは「赤(石田選手)」の旗だ・・・。打突直後の宮崎は「やった〜」という雰囲気を漂わせており、石田選手は「やられた〜」という感じにも見えたのだが、石田選手は審判の旗にすぐに気づいて「よし」という感じを見せ、対する宮崎選手は審判一人一人の旗の色を確認するや唖然とした様子で開始戦に戻った。なんとも後味の悪い結果となったが、結果は石田選手の二本勝ち。宮崎選手は試合場を去るときに軽く天を仰ぎ、「Unbelievable」という様子満点だった。私もこの判定にはかなりショックを受けた。私の見ている位置からは宮崎選手の打突が石田選手の面を捉えているのと、石田選手の竹刀が宮崎選手の面の左をかすめているのが見えた。石田選手は宮崎選手の攻めに後退し、続く打突に合わせて面に行ったと思われるが、私の場所から彼の竹刀が宮崎選手に当たるところは見ることができなかった。




石田選手は足や腕を気にしている仕草がみられ、体のキレも徐々に悪くなってきていたので、もしここで宮崎選手が一本を返して同点となっていたら、宮崎選手が試合を制していた可能性は高いと思っている。

大変残念なことだったが、この負けで宮崎選手の勝負魂に火がつき、より上のレベルに向かうきっかけとなって欲しいとこころから願う次第である。




さて、組み合わせ表右側の第1ブロックでは、大変興味深いことが起きていた。
こちら側は誰が出てくるかが大変興味のあるところだった。

まず後半第一戦、古川選手が片山選手の大きな打ちに苦戦しながらなんとか勝ち進む。

続く笠村選手も、伝家の宝刀のコテで勝利を収めたが、延長戦でやっととった感じだった。

このブロックでは昨年優勝の稲富選手が1回戦を危なげなくものにしたにも関わらず2回戦で最近絶好調の松本選手に敗退し、彼の好調さに期待が膨らんだ。

下のブロックでは山中選手が勝ち進んだが、この日の山中選手は剣先での攻防よりも前後に動いての間合いの攻防に徹し、また私にはそれほど攻めることなくスピードとタイミングで打っているような感じに見えたが、相手が彼の動きについて行けなかったのか、全て面の2本勝ちで準決勝まで勝ち進んだ。



1回戦を苦しみながら勝ち進んだ古川選手は2回戦で笠村選手と対戦する。古川選手に対して笠村選手はズイっと攻め入り、面に行く技を数度試みると、きわどいところで古川選手がそれを交わす。しかし3回目についにこの戦法で豪快な面を決めることができた。勢いに乗る笠村選手は2本目開始直後もすぐに動き、躊躇することなく間に入り込む。再び一本を取るかに思えた一瞬だったが、古川選手が予想外のスピードで返り討ちに面を取った。ここで古川選手が大きく変わったことに気づく。一本目の笠村選手の面で覚醒した古川選手はこのあとスーパーサイヤ人に変身し、マッハ2のスピードで移動可能となったのだ。1対1の勝負も同様の面で笠村選手を打ち取った彼は、この後快進撃を始める。

3回戦の相手、絶好調男の松本選手にも驚異的なスピードで攻め入って面、その後も半ば強引とも思える攻めを見せ、捩じ込むような突きを浴びせて二本勝ち。面をつけていないときは爽やか笑顔の紳士古川選手だが、面をつけた途端に勝負の鬼となる。その上このときは鬼というよりもスーパーサイヤ人になったベジータのように血も涙も無い感じで松本選手を一蹴した。

その古川選手は準決勝では山中選手と対戦。山中選手はここまで全て面の2本勝ちでまさに絶好調に見える。しかし古川選手はそんなことはまったく意に介せずといった感じで、ガンガン打ち間に入り込んで攻めたてる。山中選手は古川選手の厳しい攻めにたまらず後退すると、古川選手は光速で飛び込み面を決める。また山中選手が安易に面に伸びるところを待ってましたとばかりに胴にとり、この試合を簡単に終わらせてしまった。

弱いわけでも不調だったわけでもなく、むしろ絶好調だった山中選手だったが、彼は所詮人間レベルだったのだ。スーパーサイヤ人ベジータに化した古川選手の前に、なすすべもなく砕け散った。




b0241736_1242880.jpgさて、おまちかねの決勝は古川和男選手対石田利也選手の戦いとなる。

高レベルの厳しい間合いの攻防が展開する中、石田選手が攻めて出てくるところに古川選手は後退せず、マッハ2のスピードで最速の小手を小さく打つとこれが決まる。

よく見ると石田選手の動きが鈍ってきているのに比べ、回を重ねるごとに古川選手の動きにはキレと冴えが際立ってきていて、マッハのスピードも加速度を増してきているのがわかる。

攻めも古川選手がわずかに勝っていて、石田選手が後手に回り出す。2本目は古川選手が相面を制したのだが、これも古川選手が先をとっていて、石田選手はそれに合わせて面に行っているように見えた。パターンとしては対宮崎戦と同じ状況になったのだが、古川選手のキレのある動きが際立ち説得力充分であったのが、石田対宮崎戦での状況との違いだろうと考える。



b0241736_12382167.jpgということで古川選手が優勝したのだが、彼の勝因は彼がスーパーサイヤ人にレベルアップできたことであろう。よって彼をスーパーサイヤ人に変身させてしまった笠村選手がこの大会の大きな鍵を握っていたと考える次第である。

つまり笠村選手に面をいただけば覚醒する可能性があるということだ。

私も笠村選手に面をいただいてもう少しマシな剣道ができるのではないかと、淡い期待を抱いており、次に稽古をいただける日を密かに心待ちにしている次第である。






b0241736_12404886.jpg最後の写真は帰りに大須の矢場トンで食べた「味噌串カツ定食」。で〜りゃ〜うみゃぁでいっぺんいってみてちょ。
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# by alaskakendo | 2015-04-27 12:44