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アラスカの大自然の中で武道する毎日を雑記


by alaskakendo

良師は3年かかっても探せ、というが・・・。

私は師に巡り会うまでに、3年ではなく30年かけた。

最初に手ほどきを受けたのは滝口重通先生で、次が広瀬松市先生だったが、その頃はまだ素人に毛が生えた程度の知識と経験しかなかった自分には「師」を持つ資格など到底無かったのだった。

しかし、ついに探求の旅に出た自分はついに巡り会ったのであった。

実際に探し始めたのは30歳才頃で、見つかったのは40歳になる年だから10年と言えるかもしれない。でも道を歩き始めてから数えると30年かかったことになるのだ。



良師は3年かかっても探せ、というが・・・。_b0241736_16513218.jpg初めて亀井先生と剣を交えた時の感想は剣道日本編の「剣道ニッポン、世界へ!」に記載されている。


良師は3年かかっても探せ、というが・・・。_b0241736_16532873.jpgそれは、簡単に言うと、自分に先生の剣道の底知れない恐さを感じさせると同時に「その恐ろしさを乗り越えて打ち込んでゆかなければならない」という勇気を奮い立たせてくださり、「この人の使う剣を学びたい!」という強い願望を抱かせてくださった、ということである。


後に、彼が普通のサラリーマン生活をしながら剣道を続け、八段、そして範士号をおとりになられたということを知り、そんなすごい人を相手にしていたのか、と敬服した。

私のような普通の剣道家にとって範士八段というのは神様のような存在であり、直答さえ許されない時代もあったと思うが、亀井一雄先生はとても頭の低い、優しい、しかし剣道は厳しい先生であった。義に熱いところがあり、態度の悪い弟子を破門するなど激しいところもあったが、自分が間違っていたとわかると、本人の所まで出向き、自ら頭を垂れて謝る素直な心を持つという、立場や、社会的地位などを超えて行動できる人であった。

私が先生に師事したのは1998年3月にシアトルで初めてお会いしてから、2007年10月にお亡くなりになるまでの晩年の9年半である。その前から先生を知っている兄弟子たちは、「鬼」と呼ばれた頃の先生から、晩年の仏の様に優しくなった頃までを知っており、うらやましく思うのである。

亀井先生と出会ってから、自分の剣道は変化し続け、水を得た魚のように進歩上達したと思う。1年に2〜3回しかお会いできないし、年一回程しか、実際にお手合わせがかなわないにも関わらずだ。



良師は3年かかっても探せ、というが・・・。_b0241736_1658414.jpgそれは亀井一雄という目標を得、具体的な剣士としての姿、人としてのあり方を現実に見ることができたからであり、年に1〜2回でも人として、剣士として自分がいかに進歩したか、またはしなかったかを先生に見ていただきたいという一心で、この地アラスカで独り、黙々と稽古に励んだからに相違ないと思う訳である。

先生は亡くなられたが、必ず天国で見てくださっていると信じており、記憶に残る先生の姿を目標として、依然稽古を続けている。

先生は稽古を付けることにより剣技を示し、弱点を教え、強い所をより強くし、短いフレーズで評を述べて、考える機会を与え、次へのステップを示された。

これは師一人の力で成り立つものではなく、師弟間の相互信頼と相互理解による共同作業によるものだ。啐啄同時という言葉通り、師はタイミングを見て援助をしなければならないが、弟子も師の意図を正確に理解して稽古することにより、最も効果的な結果を得ることができる。弟子が師に挑戦することで、師は弟子から押し上げられ、弟子は師から学ぶという師弟関係が最も理想的なものであり、我々はそういう関係にあったと信じている。



良師は3年かかっても探せ、というが・・・。_b0241736_16595542.jpg先生が亡くなって以来、兄弟子たちや先生の友人だった先生たちと交流があり、特に剣技は小林英雄範士八段から教えていただいている(私が勝手にそう思っているだけと思うが)。



良師は3年かかっても探せ、というが・・・。_b0241736_16502728.jpg師が亡くなったことは残念だが、剣技はさておき、理合いを見分ける目は養われてきているし、高レベルの攻防も、残心も多少はわかるようになってきたようである。あとは「人」としての徳を積み、格を育てて、より剣技を磨いてゆかなければならないと思うのである。

修業あるのみ。
by alaskakendo | 2011-11-29 17:07