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アラスカの大自然の中で武道する毎日を雑記


by alaskakendo

最近心をよぎって行った想いを書き付ける

昨年秋からこの正月までによぎった想いのいくつかを紙片にメモしてあった。

忘れぬうちにここに記しておく。

1。達人の目指す所:(居合の稽古中によぎった想い)

刀は斬れるように作られている。達人とはその刀を完全に自分のコントロール下に置くのではなく、刀が行きたい方向に行けるようにしてやる。達人が思った方向に刀が行きたいと思わせるようにする。そうすれば刀は自らの行きたい所に行き、自らの働きを成す。つまり斬っているのは達人ではなく刀であり、達人はその手伝いをしてやっているだけ、刀に仕事をし易くしてやってあげているということなのだ。

無理に刀を動かそうとせず、刀と自分が同じ気持ちになること。それを目指せということか。


2。惻隠の情が世界平和への鍵である。(亀井一雄範士八段を偲んで手拭を見ていた時によぎった想い)

原理資本主義にはこの考えはない。しかしキリスト教、仏教の教えにはそれ、またはそれに似た考えがあるようである。

すべての人々が他人を幸せにするために生きる事が出来れば、きっとすべての人が幸せになれるはずなのだ。


3。山本兼一著「命もいらず 名もいらず」を読書中によぎった想い。

心を研ぎ澄まし、強く求めていれば、運命の出会いがある。それは人であったりものであったり、技であったり、考えであったりする。自らの道を追求し、日々精進していれば必ずこういう瞬間に巡り会える、と言うような内容がこの本にあった。

その積み重ねで出来たものを道というのか。


4。昨年秋のシアトルでのPNKF大会2回戦で心くじけて負けてからずっと心にあった想い。

負ける事が悪い事なのではない。全力を尽くさなかった事が悪いのだ。全力を尽くして、その結果負けたのであればそれは仕方なし。

その時に100%、またはそれ以上の自分の力が出ていたのであれば、昨日の自分には勝っていた事になる。次は自らのみならず本日負けた相手にも勝てるように、さらに稽古を積めば良いだけの事なのだ。しかしそもそも勝ち負けにこだわる自らの弱き心がそこにあるのが問題なのだ。その弱き心を鍛えなければならぬ。これこそすなわち「劍」の道なり。さらに修業あるのみ。
by alaskakendo | 2013-01-28 07:29