アラスカの大自然の中で武道する毎日を雑記


by alaskakendo

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刀は切れるように作られている。


b0241736_235116.jpgその刀を名人は完全にコントロールしようとするのではなく、刀に方向を与えてやる。

そうすれば刀は自分のしたいように動き、そして斬る。

つまり斬っているのは自分ではなく刀であり(もちろんバランスよく鍛えられた名刀であるからそれができる訳であるが)、自分はただその手伝いをしてやっているということである。刀の仕事をし易くしてやっているだけなのだ。

それが名人の名人たるゆえんである。





かような事をあるときふと思いついた。

これを心と身体に置き換えて考える。

身体は動きたがっている。

その身体を心は完全にコントロールしようとせず、身体に方向性を与える。

すると身体はそちらに動きたがり、そのように動く。つまり動いているのは身体であり、 心はそれだけに集中しなくても良いので(もちろん繰り返して練習した動きだからこそ身体がそのように動くのだが)、身体が動いている間、心は周囲に気を配ったり次に与える方向性を準備したりすることができる。

となるかもしれない。

さて、これを生き方に置き換えると。

人は生きたがっている。

神またはそれに似た「存在」(例えば運命)は人を完全にコントロールしようとはせず、人に生きるヒントを与える。正しい修行を積んだ人間はそれを正しく受け取り、「存在」の示す道に行きたがるようになる。

修行が足りなければそれを間違って受け取ったり、受け取れなかったり(よって「ただ観ているだけ」と思ったり)するかも知れない。

人はその「存在」の助けにより、より高い次元へと自らを導くことができるかもしれないのだ。そのためには常に正しい修行を怠らず、心と自然と宇宙のエネルギーを感じることができる状態を保っている事が大切なのかもしれない。



と言ってもいつも張りつめて稽古しているようではだめだろうし、そこんとこらへんの微妙な加減が今ひとつ分からんのだが・・・。




ここまで考えてふとまた思う。





b0241736_264164.jpg自分は「宗教は?」と問われたら仏教観が強いよう見えるが、考え方とか生き方(これは「宗教」ではなく「信仰」とでも言うのか?)としては神道に近いと言えるなぁ、と言う事。






でもまだここはあまり深く突き詰めたり、型にはめずに生きたいな。
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by alaskakendo | 2013-08-09 02:11